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第349回:中部高等学院・戦後70年平和学習「ひめゆりの塔」
中部高等学院の課外授業として沖縄で、戦後70年平和学習・自然環境学習を行なって参りました。
第一弾として「戦後70年平和学習・ひめゆりの塔」
【米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒の222人、教師18人は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。
3月26日、米軍は慶良間列島に進攻、4月1日には沖縄本島中部西海岸に上陸。米軍の南下に従い日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは護送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなくなっていきます。
5月下旬米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かいました。移動先の安静もつかの間、激しい砲爆撃の続く中で6月18日を迎えます。学徒たちは突然の「解放命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で91人が亡くなりました。
米軍は沖縄戦を日本本土攻略の拠点を確保する最重要作戦と位置づけ、物量のある限りを使い、対する日本軍は米軍の日本本土上陸を一日でも遅らせるために壕に潜んでの防衛・持久作戦をとりました。沖縄を守備するため、軍は県民の根こそぎ動員を企てると同時に、学徒隊を 編成して生徒たちの戦場動員を強行した。持久作戦、根こそぎ動員は、12万余にのぼる沖縄住民の犠牲をうみました。
〈ひめゆり平和祈念資料館資料より抜粋〉】
ひめゆり隊は13〜19歳ですので、当学院の生徒達と同年代。そして、ご存命なら80代ですので、老人ホームのボランティア活動で触れ合うおばあちゃま方々と同年代です。
ですので、尚更に生徒達は、ひめゆり隊の過酷な生きざまを目の当たりにして、平和の素晴らしさを噛み締めていたと思います。
最後に、月1回約8年間続けている老人ホームボランティア活動を今以上に感謝を込めて、行なって参ります。
日本の平和の為に、命を捧げて下さった皆様に、心より感謝を込めて、ご冥福をお祈り申し上げます。